免許書の裏には、脳死したら臓器提供しますか?の欄がある。生きてる時の自分の意志が書ける。
看護師の母に習って自分ができる医療系のボランティア的なのには参加していきたいと思っていて、献血をしたり、ドナー登録をしたりしている。
その延長線上で免許書の裏の臓器提供も「全部OK」に丸をして、署名していた。
脳死した時、私の意識は無いはずだし、無駄になるくらいなら誰かの役に立った方がいい。それを生前から決めてるのってちょっとかっこいい。
しかし、「人魚の眠る家」という映画を見てガラッと考えが変わってしまった。
もう私の免許の裏には丸も署名もない。
事故で脳死状態になってしまった娘を受け入れられずにいる家族の話。
死を認めて臓器提供を勧めてくる医者。
まだ娘は死んでない!と家族。そりゃそう。死んでないよ。
目の前で静かに眠っているだけに見える娘を死んでるなんて思える家族はいないよ。
でも、臓器提供するに丸を付けている私が脳死したら?
悲しみのどん底の家族に死を選択させなければいけなくなるのか?
それは酷すぎないか?
私の軽い気持ちの丸と署名が家族を苦しめるかもしれない。
そう思った時から丸と署名をしていない。