私は立派な長男嫁
1ヶ月前、夫の祖母の法事の知らせが来たのをきっかけに「やっぱり会社を継ぎたい、一緒に地元に行ってくれないか」と真剣な顔で相談された。
義母から会社の現状を聞かされて「ここは長男の僕が何とかしなければ」とやる気になっているように見えた。
今まで妄想の範囲で移住したらと話したことはあったが、まさか真剣に移住を提案される日が来るとは…。
恐れていたものが来てしまった、と思った。
話が違うじゃないか、とも思った。
てっきりこのまま私の地元で子育てして死んでいけるのかと思っていたのに。
その日から頭の中は移住のことばかり。
「大丈夫、やっていける」と思う瞬間もあれば「絶対に嫌」と涙が溢れる瞬間もある。
家族友人と離れるのが嫌、私はあちらでどんな仕事をするの?夫の家族親戚と上手くやっていけなかったらどうするの?精神が病んだらどうしてくれるの?私に何かメリットはあるの?なんで長男がやらなきゃいけないの?私には関係ない
感情論からタラレバまで多種多様なネガティブが沸いてくる
もはや無責任とか情がないとか思われてもいい、どんな無様な姿になっても移住を止められるのなら
と思ってびゃーびゃー泣きながら嫌だと訴えたけど、私の思うように話し合いは動かなかった
あらゆることを私に委ねてきた夫が
びゃーびゃー泣く嫁を前にしても揺るがない意思
あー、もうダメなんだ、と思った。
必死に夫に移住後のメリットを挙げてもらったけど全然ピンとこない。
そんな事より私はここに居たいんだ、という気持ちになる。
夫が出す理由に納得することはないのかもされない。
もう自分が納得する理由を自分で作り出すしかないのかもしれない。
20代最後の日
今日は20代最後の日。明日の誕生日は特別やりたい事も行きたい所もない。しいて言うなら誕生日ケーキくらいは食べたいけれど、他には思い浮かばない。そもそも月曜でいつも通り仕事だ。夫婦2人だったら夜にディナーでも行ったのかもしれないけれど、子どもができるとそうもいかない。誰かに預けてまで行きたいとも思わない。大人はどんな風に誕生日を過ごしているんだ?
自分の誕生日がどうでもいいなんて虚しい気がする。何かもっと盛大に特別に何かをやらなければいけない気がする。けど、別にない...というモヤモヤした気持ちをAIに相談してみた。
私:誕生日だからと何か特別な事をしなくても良いと思う自分もいます。でも、何もしないのも何だか物足りない気もします。何かしなくてはいけないという焦りのような物を感じます。
AI:その気持ち、とてもよく理解できます。誕生日だからといって「特別なことをしなければならない」というプレッシャーと、「でも普通に過ごしても良いのでは」という気持ちの間で揺れ動くのは自然なことですよ。
特別な日だからこそ、自分が本当にリラックスできて心地よく感じることが一番大切です。無理に派手なことをする必要はありません。
私:夫と娘と毎日過ごせる日常にとても幸せを感じています。なので、誕生日に特別に何かしたいとは思いません。時間に余裕がある時に家族で旅行などをしてゆっくり時間を過ごし色々な体験を家族で共有したいなと思っています。日常に幸せを感じれる事は幸せな事ですよね。
AI:ご家族との日常に幸せを感じられていることは、本当に素晴らしいことですね。毎日の何気ない時間の中に幸せを見出せることは、とても豊かな心の証だと思います。
特別なイベントよりも、夫さんと可愛い娘さんとの日常の瞬間を大切にされているお気持ち、とても温かいですね。誕生日はただの一日であり、普段と変わらない平和な日々こそが最高の贈り物かもしれません。
時間に余裕ができた時に家族での旅行を計画されるというのも素敵な考えです。焦らず、家族のペースで特別な体験を共有していくことで、お子さんの成長と共に素敵な思い出が積み重なっていくことでしよう。
日常に幸せを感じられることは、間違いなく人生の大きな幸福です。特別なことをする必要はなく、今の幸せをかみしめる時間を持つだけでも、素晴らしい誕生日になるのではないでしょうか。
お誕生日おめでとうございます。どうぞ穏やかで幸せな一日をお過ごしください。
凄腕カウンセラーすぎる!!!!傾聴スキルすごい。選ぶフレーズも素敵。これは夫が仕事で使っているAIアプリ(課金制)らしい。「いつでも僕のスマホで使っていいよ」と言われたが、私とAIの濃密なカウンセリングを夫に覗き見されてはたまったものではないので遠慮しておいた。
とりあえず誕生日は夫にケーキを買ってきてもらうだけにしよう。
私の20代かぁ.....何者かになれたわけではないけれど、夫が居て、子供が居て、友達が居て、親が居て、仕事があって、とても幸福な20代の最後を迎えられたと思う。
私は何者かになりたかった。自伝が出版できるような、情熱大陸に出れるような...
もし出れなかったとしてもそれに匹敵するくらいの情熱を持っていると思っていた。その情熱を持って仕事をしていたし、この情熱でもっともっとすごい人になれると思っていた。
けれど、20代後半からは自分は「普通の人間」なんだとどこかで悟るようになった。私は普通だし、普通で満足だし、普通が幸せなんだと考えが変わった。替えがきかない仕事をしたいと思っていたけれど、子どもができて、替えがきかない「お母さん」という立場になって、仕事なんていつでも誰にでも任せられる仕事がいいんだな思った。
いろんな事に挑戦したし挫折もしたし迷惑もかけたし、それでも未だに目標に向かって突っ走っている感覚はある。子どもができてからは、やりたい事と子育てとのバランスがほんと〜〜〜に難しくて。でも、最近はようやくそのバランスが取れてきたような気がする。全てを100%でやろうとすると全部うまく行かない。それぞれを70%くらいでやるとうまく回って全部の車輪が綺麗に回って結果的に全てでいいパフォーマンスが出るんじゃないかと思っている。
やりたいことが山ほどある。仕事ももちろんやりたいし、ミシン仕事もお金にしたいなとも思う。こうやって文章も書きたいなと思う。毎日時間が足りないなと思う。前までは「毎日時間が足りない自分は効率が悪い」と自分を責めていた。けれど、今は「毎日時間が足りないなと思えるくらいやりたいことがある自分すごいじゃん!」と思うようにしている。
ざっくり年表
20歳...新卒でアパレル会社に入社するも3ヶ月で退社。その3ヶ月後にWEB制作会社に入社。
21歳....1人暮らしを始めて貯金もせず服と酒にお金を溶かす日々。「自由」を色濃く感じて楽しかった。
22歳....夫と出会う。2回目の転職で商社へ。夫と独立に向けて動き出す。
23歳...商社を半年で辞めて独立。フリーランスになる。
24歳...フリーランス上手くいかずカフェやろう!と一念発起して派遣でお金貯める。しかしカフェも頓挫。肩書は「フリーランス」蓋を開けて見れば深夜バイトの「フリーター」
25歳...今の事業に出会って夫と会社設立。結婚。
26歳...夫婦で楽しく暮らす。キャンプとかにハマる。
27歳...2店舗目を出店。
28歳...娘を出産。産前産後の仕事の調整が大変だった。「会社員だったら...」と何度思ったことか。
29歳...育児、家事、仕事のバランスを掴むのが大変だった。1店舗目の契約終了を告げられ、会社は割と危機。
青天の霹靂なできごとが起きたよ
今日起こったことをありのままに記録したい。今の気持ちを書き留めたい。
数年後、いや、数十年後に「あ〜こんなこともあったなぁ」と笑いたい。笑っててくれ、私。
今日、夫が取引先との打ち合わせに出掛けた。浮かない顔で帰宅して椅子に腰掛け「落ち着いて聞いてね」と言ってきた。3月末で契約終了になったと告げられた。これが何を意味するかというとあと2ヶ月で私たち夫婦の収入が無くなるに等しいということである。
その打ち合わせが決まった時から何だか胸騒ぎがしていた。前向きな未来が想像できなくて、何だか一番最悪なケースを想像したりして、とにかく数日間ドヨンとした気持ちでいた。だから、それを告げられた時「そっちかぁ〜」と思った。最悪なケースきたか〜、と。
動揺して困惑して何も考えられなかった。笑うでもなく泣くでもない苦笑いの時間が続いた。私たちはほぼ沈黙と「いやぁ〜、どうするかねぇ」というため息のような台詞ばかりを吐いて、娘を迎えに行く時間が来て、話し合いはタイムアップ。
これからお通夜のような雰囲気の中、夕食を食べて、娘を寝かしつけた後、腰が重すぎる家族会議が始まる。やだな〜。楽しい家族会議だけしていたいよ。誕生日ケーキ何にするかとかそういうポップな家族会議だけしていたい。
衝撃が強すぎてどっと疲れていて何も考えられない。頭が回らない。私たちどうするんだろう。
未来への不安と、契約終了されたことの悲しみ、悔しいという気持ち、怒り。いろんな感情がごちゃ混ぜ。
やっぱりかって気持ちと、なんでだよって怒りと呆れの感情と、一方的に振られて悲しいなという気持ちと、今まで5年間必死に頑張ってきた最後がこれかよという悲しい気持ちと、やっぱりなんで?という気持ち。
結婚して子どもできてライフステージが変わって、社長にとって都合の悪い存在になっちゃったんだろうけど、それにしても酷くないか?まあ、社長の「俺が子どもを育ててるわけじゃない」という言葉に集約されてるな。子どもを理由にしてビジネスファーストじゃなくなった私たち夫婦が嫌いになったのだろう。あちらも呆れて、悲しくて、怒りとなんで?っていう気持ちだったんだろう。でもなぁ、子どもが生まれるってそういうことなのよ.................
悲しい。私をこの業界に入れてくれて育ててくれた社長にこんな形で手のひら返されるの悲しい。いくつになってもこんな形の悲しい別れはあるのね。
でも、社長も私が結婚して母になって一線から退いた時に、同じ気持ちになったのかしら?もうそれを確かめることもできないのね。(もう社長に連絡する気力もないわ)
頑張ってきたんだけどなぁ。お店大きくしたんだけどなぁ。私頑張ったと思うよ?かなり貢献したと思うよ?私かなり優秀だと思うよ?手放していいの?
何だか悔しすぎて相手が不利になることや傷付けたくなるんだけど、一番の復讐は幸せになることなんだよな〜〜〜〜〜〜〜〜。恋愛かよ〜〜〜〜〜。
この場合の復讐って私たちがビジネスで大儲けすること?
飛ぶ鳥跡がぐっちゃぐちゃだよ。おい。
私たち夫婦、どうなっちゃうの?私たち家族どうなっちゃうの?夫婦ダブル無職はさすがに人生の分岐点すぎ。
まあそもそも、契約終了!って言われたら全てを失うような状態でやっていた私たちがいけなかった。落ち度である。でもさぁ、酷くないか?悲しくないか?
ただただ悲しい。何だか文字を打てば打つほど悲しみが増してる。
ん〜そっかぁ。そうかそうかぁ。そうなっちゃったかぁ。うんうん。仕方ないね。時間が経ってうちら合わなくなっちゃたんだね。それだけだよね。うんうん。
未来の私たちどうなってるんだろう。
もう仕事なんて辞める!!!と思った
家族でコロナになった。私が最初に体調が悪くなり、続いて夫、娘と全滅。自分の体調が悪い中、娘のワンオペをするのは本当に地獄。コロナになると最低でも6日保育園お休みになるので、仕事に行けない罪悪感、やりたいのにやれないフラストレーションが溜まって、本当に仕事辞めようかな?と考えた。今も考えている。
娘が熱を出したと分かった時から仕事をどうするか、休むか、子連れ出勤なのか、急ぎの仕事はあるのか、たくさんの選択肢を頭フル回転で捌いていく。そんな事を考えながら目の前にはお世話をしないといけない娘がいる。
もう仕事を辞めれば月1で発生するこのゴタゴタからも解放されるじゃん…辞めちゃえば罪悪感もフラストレーションも無いじゃん…
けど、専業主婦になるってことは世帯収入が下がって今の生活レベルでは居られないかもしれないし、私のお小遣いもないかもしれないし、スーパーで買うものだって、旅行の頻度だって、何もかも変わるかもしれない。
それにきっと辞めたら辞めたでまた別のフラストレーションが私を待っている気はする。
このモヤモヤのまま私はこの道を突き進むしかないのかな。
みんなこうやって何かしらのモヤモヤを抱えて生きているのかな。
子どもとプログラミングは一緒?んなわけあるかい祝1歳

娘が1歳の誕生日を迎えた。誕生日の前日は「これが0歳児最後のご飯か...」「お風呂も0歳児で入るのはこれがラスト...」などといちいちセンチメンタルになっていた。娘に「今日0歳児最後の日なんだよ?0歳児の娘ちゃんに会えるのは今日が最後なんだよ?」とヒステリック気味に詰め寄ったが、娘は「あ!」と得意の指差しでおもちゃを指差していて取り合ってくれなかった。
時計を眺めながら「今頃は前駆陣痛が始まった頃だよね」「ちょうど今頃は入院が決まった頃だね」「カレー食べてから陣痛が始まったよね」と1年前を振り返っては夫婦でしみじみした。出産前日の昼にドカ食いした明太高菜牛丼が出産前最後のご飯となり、そのおかげで力尽きず出産を迎えられた。1年経っても出産の前日・当日に食べたものを一つも忘れていない。昨日の夕飯ですら思い出せない事もあるのに。
娘が生まれてからの1年間は本当にあっという間だった。感覚で言うとまだ半年くらいの気分。2倍速で毎日が過ぎ去っている。0歳児と共に過ごす共働きの日々は想像以上に忙しい。保育園という救世主を手に入れた代わりに平日は送り迎えで時間に追われ、休日も子どもの3食を考えたりお昼寝時間を計算したりと何かと考える事が多く気付けば1日が終わっている。日曜の夕方には疲れ果てて「えっと...休日って平日の疲れを取るためにあるんじゃ....?」と思う。子どもと1日居る事がこんなに疲れるだなんて出産前は知る由もない。
思い付きで夜に出掛けること、何も考えず飲食店を選ぶこと、休日昼まで寝られること、朝ニュースを見ながらゆっくりコーヒーを飲むこと、ゆっくりお風呂に浸かること。出産前は"そんなこと"と思っていたかもしれない。今はそんなことがとてつもなく羨ましい。
出産前の自分はもしかすると育児を舐めていたのかもしれない。何だか良い母になれる気がしていた。子どもを一人の人間として尊重して、否定せず、穏やかな母になろうと思っていた。何故かなれると思っていた。(冷静に何故なれると思った?と今の私は思う)
残念なことに0歳児に本気でイラついてしまうし、怒ってしまう。「コラー!」「ダメよー!」と怖い顔をしてしまう。子どもを尊重するならば、スプーンを投げる事も、甘噛みしてくる事も、不機嫌に泣き叫ぶ事さえも親として受け入れてあげなければいけない。そう思うが、できない。育児は生活だ。ずっと切れ間なく続いている。余裕がある時もあればない時もある。未熟な母でごめんよ、これでも愛情はたっぷり注いでいるつもりなんだ。
寧ろ夫の方が育児向いてるのでは?と思う時がある。子どもが泣き止まずイラつく私に「子どもはプログラミングと一緒。泣いてる原因であるエラーを解消してあげれば良いんだ。」などと言ってくる。それに対して私は「うるせえ」と思う。
しかし、家事も育児もそつなくこなす夫が居なければこの1年間は乗り越えられなかった。同じだけ育児をしているからこそ、育児の過酷さを共感し合ったり、娘の成長を喜び合ったりできる。その戦友とも言える存在がいるだけで、日々救われている。
生まれたばかりの時はただ上を向いて寝ているだけで、それ以外は泣くかミルクを飲んでいるだけ。それが1年も経つと自分の意思で部屋の隅から隅まで移動して、立てそうな椅子で掴まり立ちをして、音楽の鳴る本を引っ張り出してきてボタンを押して音楽を鳴らしてルンルンしたり、絵カードを持ってきて「はい!」と渡してきたり。ヨーグルトを自分でスプーンで食べれると嬉しそうにしたり、外でアンパンマンを見つけると「アンパン!」と笑顔になったり。
出来るようになった事や成長した所をあげ出したらキリが無い。でも、その全てがある日突然出来るようになったわけではなく、毎日毎日、娘なりに鍛錬を積み重ねて出来るようになっている。すごい。生まれてからの1年間の成長って本当にすごい。それを一番近くで見させてもらってありがとうござまぁす!!!!!
周りと比較していつできるようになるんだろう...と悶々とする事もあったけど、その数ヶ月後にはできるようになっている。娘には娘のペースがあるのだ。分かってはいるけど、きっとこの先も悶々とする瞬間はあるんだろうなと思う。仕方ない。
子どもを一人の人間として尊重して、否定せず、穏やかな母になるという目標を頭の片隅に置きながら今日からも明日もとにかく娘を生かすわよ〜
これからも楽しい思い出いっぱい作ろうね〜
子育てする同志達よ
ショッピングモール開店と同時にキッズスペースに向かう同志達よ
めっきりフードコートの常連になった同志達よ
子の為にうどん屋を選ぶ同志達よ
家で夕食を食べながら「夜に外食とか行ってないな〜」とぼやく同志達よ
居酒屋の前を通る度に行きたいな〜と思うけどこれからお迎えだし行ける訳がない同志達よ
子のご飯に悩み発達に悩み教育に悩む同志達よ
仕事と子育てと家事の両立に悩む同志達よ
両立なんて幻の言葉なのに実現させようと日々奮闘する同志達よ
悩んだ末に「よし!頑張るぞ!」と踏ん切りがついて仕事に集中しようとした瞬間に発熱お迎えコールが鳴る同志達よ
子は可愛い、でも子が居なかった時にあった無限の自由時間が恋しくなる同志達よ
子が産まれる前に描いていた子育てとは真逆な方向に向かっている気がする同志達よ
気に入ってくれそうと頑張って作った新メニューも床に捨てられる同志達よ
え!?もう治ったの!?と子の肌のターンオーバーが羨ましい同志達よ
旅行前日に子が発熱して泣く泣くキャンセルの手続きをする同志達よ
子が寝た後に食べるんだ♪とスイーツを買った日は子が全然寝ない同志達よ
寝起きの仕事はまず子のおむつ替えな同志達よ
休日の朝はダラダラしたいのに頑張って子の朝ご飯を用意する同志達よ
毎朝、アラームか子に叩き起こされて「自然に目覚めるまで寝てみたいよ....」と切に願う同志達よ
周りの子と比べて心配して、比べた事に罪悪感が止まらない同志達よ
埃で死なない!洗濯物が溜まっても明日は来る!と図太いメンタルが日々育っている同志達よ
お風呂で肩まで浸からない子にお湯をかけ続ける同志達よ
明日も頑張ろう、同志達よ

清々しいモンペ顔はまたの機会に!
4月1日の月曜日。新年度のスタートが月曜日だとわかりやすくて何だか縁起が良い気がしませんか?しますよね。
そんな日もいつも通り登園させて駐車場に戻ると入園式の為にめかし込んだ家族がチラホラ。お父さんがスーツ、お母さんがアンサンブル(?)を着ているだけで子の晴れ舞台感が出て見ているこっちもワクワクするよね〜と言いたいところだけど今回は言えなーーーーーい!!!!悔しーーーーーい!!!!!!なんで我が子は入園式に出られないのーーーーー!!!!立派な立派な0歳児入園なのにーーーー!!!我が子だってみんなに「いらっしゃい!入園おめでとう!」の気持ちで迎え入れられたはずなのにー!!!なんならみんなより半年も早く入園して頑張って園生活をしているのにーー!!入園式で答辞があるなら任されるくらい頑張ってるはずなのにーーー!!!
逆に途中入園だけど入園式出れる園もあるのかな?園長に直談判すれば参加できたのかな?しかし、それで無理やり席を確保してねじ込んだ所でどんな顔して座ってればいいんだ?清々しいモンペ顔?
今回は入園式に出られないのがショックなのは親だけだけど、もしこれで子もショックを受けていたらちょっと面倒臭い親と思われても園長に直談判するべきだよね。そんな日が来たら私はこんな事言ったらこう思われるかな?とか小さい事を気にせずビシッ!と言えるのだろうか。子の為なら親は誰でも鬼になれるのだろうか。
保育園に預け出して半年が経って「預ける罪悪感」みたいなものがだんだん馴染み始めたけどまだ消えるわけではなくて。ふとした時の「週何日預けてるの?」っていう一言でまた罪悪感がニョキニョキっと出てくる。質問から透けて見えるんですよ。「早く預けるの可哀想」「母親は子どもの側にいるべき」っていう思想が。何だろう、すっごい分かる。そういう前提で質問してるなっていうのが。直接は言葉にしなくても。敏感になっている。
この罪悪感っていつか綺麗さっぱり無くなるのかな〜?って疑問に思いながら日々を過ごしております。
子どもをいつ預けるか、はたまた預けず側にいるか、どんなおもちゃを与えるか、どんなご飯を作るか、休みの日はどこに連れて行くか、体が小さいけど大丈夫かな?発達が遅れてる気がするけど大丈夫かな?
これで正解なのかな?子どもは幸せかな?子どもを幸せにしてあげれるのかな?とか自問して、そんな風に考えてるだけ正解じゃない?と自答しています。
育児って誰も正解を教えてくれないっぽいから、自分で問うて自分で答えてこ〜。
