自営業夫婦は今日もゆく

夫婦で自営業しながら0歳児を育成中。めまぐるしい日々をおもしろおかしく残したい。

子どもとプログラミングは一緒?んなわけあるかい祝1歳


娘が1歳の誕生日を迎えた。誕生日の前日は「これが0歳児最後のご飯か...」「お風呂も0歳児で入るのはこれがラスト...」などといちいちセンチメンタルになっていた。娘に「今日0歳児最後の日なんだよ?0歳児の娘ちゃんに会えるのは今日が最後なんだよ?」とヒステリック気味に詰め寄ったが、娘は「あ!」と得意の指差しでおもちゃを指差していて取り合ってくれなかった。

 

時計を眺めながら「今頃は前駆陣痛が始まった頃だよね」「ちょうど今頃は入院が決まった頃だね」「カレー食べてから陣痛が始まったよね」と1年前を振り返っては夫婦でしみじみした。出産前日の昼にドカ食いした明太高菜牛丼が出産前最後のご飯となり、そのおかげで力尽きず出産を迎えられた。1年経っても出産の前日・当日に食べたものを一つも忘れていない。昨日の夕飯ですら思い出せない事もあるのに。

 

娘が生まれてからの1年間は本当にあっという間だった。感覚で言うとまだ半年くらいの気分。2倍速で毎日が過ぎ去っている。0歳児と共に過ごす共働きの日々は想像以上に忙しい。保育園という救世主を手に入れた代わりに平日は送り迎えで時間に追われ、休日も子どもの3食を考えたりお昼寝時間を計算したりと何かと考える事が多く気付けば1日が終わっている。日曜の夕方には疲れ果てて「えっと...休日って平日の疲れを取るためにあるんじゃ....?」と思う。子どもと1日居る事がこんなに疲れるだなんて出産前は知る由もない。

 

思い付きで夜に出掛けること、何も考えず飲食店を選ぶこと、休日昼まで寝られること、朝ニュースを見ながらゆっくりコーヒーを飲むこと、ゆっくりお風呂に浸かること。出産前は"そんなこと"と思っていたかもしれない。今はそんなことがとてつもなく羨ましい。

 

出産前の自分はもしかすると育児を舐めていたのかもしれない。何だか良い母になれる気がしていた。子どもを一人の人間として尊重して、否定せず、穏やかな母になろうと思っていた。何故かなれると思っていた。(冷静に何故なれると思った?と今の私は思う)

 

残念なことに0歳児に本気でイラついてしまうし、怒ってしまう。「コラー!」「ダメよー!」と怖い顔をしてしまう。子どもを尊重するならば、スプーンを投げる事も、甘噛みしてくる事も、不機嫌に泣き叫ぶ事さえも親として受け入れてあげなければいけない。そう思うが、できない。育児は生活だ。ずっと切れ間なく続いている。余裕がある時もあればない時もある。未熟な母でごめんよ、これでも愛情はたっぷり注いでいるつもりなんだ。

 

寧ろ夫の方が育児向いてるのでは?と思う時がある。子どもが泣き止まずイラつく私に「子どもはプログラミングと一緒。泣いてる原因であるエラーを解消してあげれば良いんだ。」などと言ってくる。それに対して私は「うるせえ」と思う。

 

しかし、家事も育児もそつなくこなす夫が居なければこの1年間は乗り越えられなかった。同じだけ育児をしているからこそ、育児の過酷さを共感し合ったり、娘の成長を喜び合ったりできる。その戦友とも言える存在がいるだけで、日々救われている。

 

生まれたばかりの時はただ上を向いて寝ているだけで、それ以外は泣くかミルクを飲んでいるだけ。それが1年も経つと自分の意思で部屋の隅から隅まで移動して、立てそうな椅子で掴まり立ちをして、音楽の鳴る本を引っ張り出してきてボタンを押して音楽を鳴らしてルンルンしたり、絵カードを持ってきて「はい!」と渡してきたり。ヨーグルトを自分でスプーンで食べれると嬉しそうにしたり、外でアンパンマンを見つけると「アンパン!」と笑顔になったり。

 

出来るようになった事や成長した所をあげ出したらキリが無い。でも、その全てがある日突然出来るようになったわけではなく、毎日毎日、娘なりに鍛錬を積み重ねて出来るようになっている。すごい。生まれてからの1年間の成長って本当にすごい。それを一番近くで見させてもらってありがとうござまぁす!!!!!

 

周りと比較していつできるようになるんだろう...と悶々とする事もあったけど、その数ヶ月後にはできるようになっている。娘には娘のペースがあるのだ。分かってはいるけど、きっとこの先も悶々とする瞬間はあるんだろうなと思う。仕方ない。

 

子どもを一人の人間として尊重して、否定せず、穏やかな母になるという目標を頭の片隅に置きながら今日からも明日もとにかく娘を生かすわよ〜

 

これからも楽しい思い出いっぱい作ろうね〜